2021年02月04日

峰さを理さん。

静岡からこちらに引っ越して間もないころ。
生まれて初めて、宝塚歌劇の新聞広告を見た。

今でもはっきりと覚えている。
この月間は雪組の”大江山花伝””スカイ・ハイ・スカイ”
次の月間が星組の”レビュー交響楽”

スターさんたちの載っているその広告をマジマジと見ていたら


「一度行ってみるか?」と父が聞いてきた。

父曰く、せっかく東京に近いところに引っ越してきたのだから
いろんな芸術、舞台、音楽に触れるといい、ということで、
その思いで声をかけてくれたらしい。

せっかく声をかけてくれるなら、と行くことに決定し、
どちらがいい?と言われ、迷わず星組さんを選択した。

当時、舞台なんてろくに見たことない私には
雪組さんのようなお着物を着たお芝居は
きっと、暴れん坊将軍的な時代劇のようなものに違いない、と信じていて(笑)
だったら、きれいなドレスとかの方が見たいじゃん!という安易な選択で
深い意味は全くなかった。

その週末の土曜日、
お昼に学校から帰宅したら、仕事先の父から電話が。
「夜の宝塚のチケットを取ったから、お母さんと劇場に来なさい」と。

なんで~~私が見たいのはドレスの方なのに"(-""-)"
とぶぅぶう文句を言いながら
半ばあきらめモードで向かった劇場。

そこで、私はすっかり雪組トップスターの平みちさんにくぎ付けとなるのだった(^^;

あとから、父による娘の情操教育は半分は本当だけれど、
もともと自分が大学時代に下宿先の娘さんを宝塚に連れて行くという子守役をしていて
宝塚は勝手知ったるところであり、
どうせならファンだった春日野八千代さんが雪組にいたから、
娘に見せるのも雪組、
という理由で連れて行かれたことが判明(笑)
でも、まさか娘が宝塚にハマるとは思ってなかったらしい。
(春日野八千代さんについて熱く語ったブログはこちら

その時に、宝塚を見に行くのは
平みちさんが出る作品、公演中一回だけ。
行くときは必ず両親といくこと、という約束をさせられた。
まぁ中学生だから仕方ない。

そんなわけで、他の組を生で見ることができたのは
大学生になってからだった。


もしも・・最初のあの時、
父が雪組への思いを封印して(笑)
私の希望通り、星組に連れて行ってくれていたら
私は星組さんのファンになったんだろうか。
主演の峰さを理さんを好きになっていたんだろうか

・・・そんなことを時々思っていた。


前置きが長すぎた(^^;


その、峰さを理さんが亡くなったという記事を見たのは
報道が出て3日もたっていた時だった。
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正直言うと、ものすごくファン、というわけでもなかった。
でも、やはり初めてハマったころのスターさんたちは
大好きだったモサクさん(平みちさん)はもちろん、
どの方も、私にとっては憧れの方で
うまく言えないけれど、そのあとに続くスターさんたちも
もちろん素敵だけれど、
なぜか最初に一生懸命追いかけて情報を集めてたときの思いもあって
ちょっと特別な存在に感じるのだ。

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生の舞台を拝見することは叶わなかったけれど、
舞台中継や、雑誌を見て、あたたかいお人柄は伝わってきて・・・
そんな方だった。
立ち姿も歌声も、独特の色気のある方だった。

やっぱり舞台も見たかったな。


あの頃の私は、
大好きなラフマニノフを聴き、
宝塚の何かを聴き、
アメリカのビルボードのヒットチャートをラジオで聞く、
というのをほぼ毎日自らに課す、変な中学生だったわけだけれど(笑)
宝塚の主題歌集なるものをエンドレスで聴き続けたおかげで、
今でもたまに鼻歌で突然出てくる曲が結構ある。

実は、ここ一週間は峰さんが主演されていたショーの曲などが
よく頭の中をぐるぐるしていた。
なぜかはわからないけれど。

せめてもの・・はなむけに。





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ラベル:舞台
posted by cissie at 23:37| Comment(0) | TrackBack(0) | アーティスト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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